東京観光 おすすめ 浅草寺 ホッピー通りでハッピーに

東京観光 おすすめ 浅草寺 東京で一番古いお寺の歴史
浅草寺が創建されたのは7世紀。今から1400年ほど前にさかのぼります。ふたりの漁師が隅田川から観音菩薩の像を釣り上げました。川に返そうとしたところ観音菩薩の像はふたりのもとにもどってきました。そのことが浅草寺の創建につながっています。
観音は人を清めたり、人々を苦しみから救う存在です。観音様のお恵みは次第に庶民に知られるようになり12世紀から13世紀にかけて観音信仰の中心となりました。何度も大火に遭遇しましたが、徳川家光の寄付により現在の原型ができました。浅草寺は徳川幕府の祈願所にもなりました。現在では年間3000万人が訪れます。
東京観光 おすすめ 浅草寺のシンボル雷門 雷神と風神

浅草寺のランドマーク的存在が雷門です。向かって左側に「雷神」、右側に「風神」がいらっしゃいます。人は自然を恐れつつ尊敬します。雷や風は自然災害を引き起こすきっかけになりますが、その一方でコメの豊かな実りをもたらします。いにしえより日本人の心のよりどころとしての神道には自然崇拝の思想があり、自然との共存を身をもって感じてきます。
13世紀末にモンゴルが日本に攻め入ろうとしたとき風雨、雷雨によってその進路を阻まれました。この時「雷神」と「風神」の御加護がなければ今の日本は存在していないかもしれません。自然現象が神格化された例としてよくとりあげられています。
東京観光 おすすめ 浅草寺 宝蔵門の仁王 草履

雷門を通り抜け、宝蔵門にまで向かう途中にあるのが仲見世通りです。お土産やが軒をつらね見ているだけでもたのしいところです。観光客も多くいつも混雑しています。「宝蔵門」はかつて「仁王門」とよばれていました。右側の仁王は口を開いています。サンスクリット語の最初のことば「あ」をあらわしています。左側の仁王は口を閉じています。サンスクリット語の最後のことば「ん」をあらわしています。これは人間の一生をあらわしているといわれています。人間が生まれて赤ん坊の時は口を開け「あああ」と泣きます。死ぬときは口を閉じ「ん」と言って一生を終えます。浅草寺は入り口の「雷門」で風神と雷神に見守られ、「宝蔵門」では仁王に見守られています。
「宝蔵門」の裏手には、長さ4.5メートル、幅1.5メートル、重さ400キロの巨大なわら草履が異彩をはなっています。これは山形県の村山市が観音菩薩の長寿を祈願しささげたものです。信仰心の篤さをかんじとることが出来ると思います。
東京観光 おすすめ 浅草寺 本堂でのマナー 秘仏、賽銭、蝋燭、合掌、おみくじ、香炉

手水舎でお清めをした後、本堂に入ります。寺に手水舎があるのは珍しいので神仏習合の話をしました。観音菩薩様は秘仏のため見れないが、自ら身を隠し皆にお導きを与えていらっしゃるということを話しました。
蝋燭、花、線香は仏教での供養に必要なものであることも説明しました。日本人の各家(今ではない家の方が多い?)には仏壇があり、仏壇=ひとの顔と考えれば理解しやすいと思います。花=耳、蝋燭=目、線香=鼻を意味します。お供えの水とごはんは口を意味するということが理解できれば説明しやすいと思います。
両手を合わせて合掌するときに、左手は不浄、右手は清浄、両手をあわせることは真実の自己をあらわします。おみくじのひきかた、吉の場合は持ち帰り、凶の場合は持ち帰らない旨説明しました。香炉から出ている煙は「仏様の息」で病気の治療に効果がある旨説明しました。
東京観光 おすすめ 浅草寺 浅草神社で夏越の祓

本堂の隣には浅草神社があります。ちょうど6月末で夏越の祓の儀式を行っていて茅の輪くぐりをしました。貴重な経験ではないかと思います。「三社祭」の話もし神輿が街を練り歩き一年で一番のにぎわいを見せるということを説明しました。
東京観光 おすすめ 浅草寺 ホッピー通りでハッピーに

参拝終了後は、蒸し暑さを癒すためホッピー通りに繰り出しました。ホッピーはビールが高級品だったためその名の通りホップを原料にノンアルコールビールとして開発されました。その後焼酎と割って飲む飲み方が一般的になり、一時期は柑橘系の炭酸飲料(サワー)に主役の座を奪われましたが、プリン体ゼロという健康上のメリットが見直され現在の地位を築くにいたっています。一日の締めくくりをハッピーに終えることができました。
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