京都観光 おすすめ 寺院 日蓮宗 北区・上京区
京都観光におすすめの寺院 日蓮宗
鎌倉時代中期に日蓮が開創しました。総本山は身延山久遠寺です。別名、法華宗とも言います。日昭・日郎・日興・日向・日頂・日持の六老僧を中心に教えが各地に広げられました。京都では南北朝時代に盛んな布教をめざし、町衆の絶大な支持をうけ洛中二十一ケ寺本山と称される各本山が建立されました。

●光悦寺 (北区鷹峰光悦町)本尊=十界曼荼羅 山号=大虚山 本阿弥光悦が1615年に徳川家康から拝領した鷹峯に草庵とともに建てました。本阿弥庵・三巴亭・了寂軒・徳友庵などの七軒の茶室があり有名な光悦垣があります。

●常照寺 (北区鷹峰北鷹峰町)本尊=久遠実成本師釈迦牟尼仏 山号=寂光山 本阿弥光悦が寄進した地に日乾が開創しました。日乾に帰依した吉野太夫ゆかりの寺です。吉野太夫の墓や、夫の佐野紹益との比翼塚があります。吉野太夫が寄進した「吉野の赤門」とよばれる山門や吉野窓や吉野桜や帯塚も有名です。
●本法寺 (上京区小川通寺之内上本法寺前町) 本尊=十界大曼荼羅 山号=叡昌山 1436年日親が四条高倉に建立。日親は「立正治国論」を著し、足利義教の怒りに触れ投獄、焼けた鍋を頭にかぶらされ「なへかむり日親」と称されました。投獄中に本阿弥清信と知り合い、のちに本阿弥家の菩提寺となりました。本阿弥光悦の作と伝わる三巴の庭は有名です。長谷川等伯と縁が深く、「仏涅槃図」などの絵画が多く伝わります。
●本満寺 (上京区寺町通今出川上鶴山町) 本尊=十界大曼荼羅、日蓮 山号=広布山 1410年日秀(関白近衛道嗣の長男)が今出川新町の道嗣邸内に造営し、近衛殿内道場として繫栄しました。1751年日鳳が徳川吉宗の病気平癒を祈願して以降徳川家の勅願所となりました・悲運の名将山中鹿之助の墓があります。
●本隆寺 (上京区智恵光院通五辻上紋屋町) 本尊=十界輪円具足大曼荼羅 山号=慧光無量山 不焼寺とも言います。1488年日真が六角西洞院に草庵を建てたことに由来します。境内の「夜泣き止めの松」は有名です。無外如大尼が悟りを開いたという千代野井の井戸も有名です。『雍州府志』を著した黒川道祐の墓や千家十職黒田正玄歴代の墓があります。

●妙覚寺 (上京区新町頭鞍馬口下清蔵口町)本尊=十界曼荼羅 山号=具足山 日実が妙顕寺から分立して開山に日像を仰ぎ開創しました。豪商、小野妙覚尼の四条大宮の邸宅を寺としたことに由来します。織田信長の京都滞在時に宿所となりました。本能寺の変の時は織田信忠が滞在していましたが戦死しました。境内には天文法華の乱の犠牲者の供養塔があり、墓地には狩野家歴代の墓があります。

●妙顕寺 (上京区寺之内通新町西入妙顕寺門前)本尊=十界曼荼羅 山号=具足山 日蓮宗の大本山 開祖日像は日郎の弟子です。1321年に後醍醐天皇より寺地を賜って創建されました。1234年には勅願寺になりました。四条門流とよばれ本圀寺の六条門流と並び立ちました。三菩薩堂は日蓮・日郎・日像を祀っています。寺宝に尾形光琳筆「松竹梅図」三幅などがあります。
●妙蓮寺 (上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町) 本尊=十界曼荼羅 山号=卯木山 1294年日像が造酒屋の中興氏(柳屋)の帰依を受けて五城西洞院に開創。一時衰退したが、日慶が再興、妙蓮寺と号しました。1587年現在地に移転。奥書院と玄関に長谷川派による障壁画があります。境内の妙蓮寺椿や御会式桜も有名です。幸野媒嶺の墓があります。
●立本寺 (上京区七本松通仁和寺街道上一番町) 本尊=十界曼荼羅 山号=具足山 妙顕寺が比叡山によって破却された後三条大宮に再建されるも、旧地の荒廃を嘆いた日実によって創建されました。天文法華の乱で焼失。再興後現在地に移転。石田三成の家臣、島左近の墓があります。
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