京都観光 おすすめ 寺院 浄土宗 左京区・中京区
京都観光におすすめの寺院 浄土宗 左京区・中京区
●阿弥陀寺 (左京区大原古知平町) 本尊=弾誓上人、植髪の尊像 山号=光明山 1609年木食上人弾誓が念仏道場として開創。現在も弾誓の即身仏が安置されています。
●安楽寺 (左京区鹿ケ谷御所ノ段町) 本尊=阿弥陀如来 山号=住蓮山 法然の弟子の住蓮・安楽が開いた念仏道場に始まります。後鳥羽上皇の女御であった松虫・鈴虫が出家しました。このことが上皇の怒りに触れ、念仏が禁止され両僧は死罪、法然も流罪となりました。

●金戒光明寺 (左京区黒谷町)本尊=阿弥陀如来 山号=紫雲山 浄土宗京都四ケ本山のひとつです。法然が1175年に師の叡空から比叡山の白河禅房を譲られ念仏道場にしたことに由来します。三重塔(重要文化財)は徳川秀忠の菩提を弔うために建てられました。寺宝に「山越阿弥陀図」「地獄極楽図」「木造千手観音立像」(いずれも重要文化財)があります。幕末には松平容保率いる会津藩の本陣があったところで、会津藩殉難者墓地があります。
●西翁院 本尊=阿弥陀如来 江戸時代の茶人藤村庸軒好みの茶室澱看席があります。「道安囲い」または「宗貞囲い」と呼ばれています。
●百万遍知恩寺 (左京区田中門前町) 本尊=釈迦如来 山号=長徳山 法然が開創したと言い伝えられています。前身は賀茂社(上賀茂神社)の神宮寺。法然が入寂したのち弟子の源智が住持となって浄土専修念仏の道場となり、知恩寺と称しました。1331年八世の善阿が疫病退散のため百万遍念仏を行い、その功績により後醍醐天皇より百万遍の号を賜りました。顔輝筆「蝦蟇鉄拐図」二幅など寺宝を多く所蔵しています。

●法然院 (左京区鹿ケ谷御所ノ段町)本尊=阿弥陀如来 浄土宗系単立寺院 山号=善気山 鎌倉時代の初期に法然が弟子の住蓮・安楽とともに六時礼賛(阿弥陀仏を昼夜六回拝むこと)を勤めたことに由来します。1680年に知恩院の萬無と忍徴が念仏道場として再興しました。境内には谷崎潤一郎・九鬼周造・河上肇ら多くの文人の墓があります。方丈庭園内の善気水は洛中名泉のひとつとして知られています。方丈には狩野光信の障壁画があります。
●瑞泉寺 (中京区木屋町通三条下石屋町) 本尊=阿弥陀如来 山号=慈舟山 豊臣秀次一族の悲劇の由緒によります。秀次は秀吉の養子となり関白職を引継ぎましたが、秀吉に実子が生まれると疎んじられ高野山へ追放され切腹。秀次の妻子三十九人が三条河原で処刑されてしまい、遺骸の埋められた穴に塚が築かれました。角倉了以は塚を整備し秀次一族を弔う寺を創建しました。

●誓願寺 (中京区新京極通三条下桜ノ町)本尊=阿弥陀如来 浄土宗西山深草派の総本山 天智天皇の勅願所として奈良に建立されましたが、上京区元誓願寺通小川に移転しました。その後現在の場所に移転しました。五十五世安楽庵策伝は笑い話集「醒睡笑」を著し、落語の祖と呼ばれています。門前に有名な石造の「迷子道しるべ」(月下氷人石)があります。墓地には安楽庵策伝や山脇東洋が眠っています。洛陽六阿弥陀巡りのひとつです。
●蛸薬師堂(永福寺) (中京区新京極通蛸薬師上東側町) 本尊=薬師如来 永福寺の境内の奥に妙心寺があります。一寺でありながら二つの寺号を有しています。かつて永福寺の隣に円福寺という寺があり、永福寺と合体しました。その後愛知県岡崎市にあった妙心寺と円福寺が寺号を交換することになりました。
●矢田寺 (中京区寺町通三条上天性寺前町) 本尊=地蔵菩薩 山号=金剛山 796年奈良矢田山金剛山寺の別院として創建との言い伝え。また822年開山の満慶に小野篁が帰依し二人によって創建との言い伝えもあり。本尊はかつての六地蔵の一つで、漫慶が地獄で出会った地蔵の姿を彫らせたとの言い伝え。地獄で人々を救うことから代受苦地蔵と呼ばれています。8月16日の送り鐘は六道珍皇寺の迎え鐘に対する呼び名です。
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