京都観光 祭と行事 葵祭
京都観光 葵祭 葵祭の歴史

『山城国風土記』逸文によりますと、欽明天皇の時代に大凶作が続いたことを憂い、卜部伊吉若彦に占わせたところ、賀茂神の祟りであることが判明しました。賀茂神の祭祀を行ったところ、天候は回復し豊作になりました。以来賀茂神は、雨や河川を司る神、農業の守護神として崇敬を集めるようになりました。
『源氏物語』では葵上と六条御息所との車争いが、また『枕草子』『今昔物語』『徒然草』でも賀茂祭が取り上げられています。祭祀に関わる人々が双葉葵を飾ったことから、江戸時代以降は「葵祭」と呼ばれるようになりました。石清水祭、春日祭とともに三勅祭のひとつに数えられています。
京都観光 葵祭 斎王と斎王代

葵祭では『斎王代』の女人列が有名ですが、昭和31年に「斎王」の代りとして復興されました。斎王とは、天皇即位の時に、伊勢神宮や上賀茂神社・下鴨神社に精進潔斎して奉仕する皇女や王女のことで、嵯峨天皇が第八皇女の有智子内親王を斎王としたのがはじまりと伝えられています。天皇の即位のたびに卜定され、攘位または崩御の際に退下するならわしでした。斎王が住まう賀茂斎院は現在の櫟谷七野神社あたりにあったと推定されています。
京都観光 葵祭 葵祭に関連する主な祭事

五月一日 賀茂競馬足揃式 上賀茂神社の馬場殿前で行われます。
五月三日 流鏑馬神事 下鴨神社の糺の森の馬場で行われます。
五月五日 歩射神事 下鴨神社で行われる神事です。本殿での祭典の後、小笠原宗家による屋越式、大的式、百手式と続きます。
五月五日 賀茂競馬 1093年堀河天皇の時代に、宮中武徳殿の式を移して奉納されて以来続いています。
五月初旬の吉日 斎王代女人列御禊神事 上賀茂神社・下鴨神社で毎年交互に行われます。上賀茂神社ではならの小川で、下鴨神社では御手洗池で手を清め、人形を流して御禊を行います。
五月十二日 御阿礼神事 上賀茂神社で深夜に行われる神迎えの神事。
五月十二日 御蔭祭 下鴨神社の祭神の荒御霊を迎える神事で、上高野の御蔭神社で行われます。神職や伶人や供奉員が神馬を中心に御蔭神社に向かいます。祭典の後、神馬に神霊を移し、下鴨神社に戻ります。途中、糺の森では、東遊び舞楽奉納などの切芝の神事が行われます。
五月十五日 葵祭(本祭) 午前十時、御所内で進発の儀が行われ、行列が建礼門前を出発すると路頭の儀(行列)が始まります。行列は、近衛使代(勅使代) を中心とした本列(近衛使代列) と斎王代を中心とした斎王代列(女人列)があります。行列が下鴨神社に到着すると社頭の儀が執り行われます。近衛使代は社頭に着くと勅使と交代し、勅使はお祓いを受け、舞人・陪従を従えて楼門を入り、剣の間で腰の剣を解き、舞殿の御祭文の座に着座、微音で御祭文を奏上します。次に宮司、権宮司が御幣物を神前に奉納すると、続いて勅使が神録を受け、冠に挿します。陪従が歌を唱え、馬寮使が二頭の馬を率いて舞殿を三度回る牽馬の儀を行います。次いで陪従が駿河歌を唱え、舞人は舞殿へ昇り東遊びを舞ます。この後、糺の森の馬場では、馬を疾走させる走馬の儀が行われます。午後二時、行列を整えて上賀茂神社に向かって出発します。上賀茂神社に到着すると、下鴨神社同様の社頭の儀が行われ、祭りは終わります。
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