一度は行きたい 京都 世界遺産 金閣寺 Kyoto World Heritage Site Kinkakuji Temple

金閣寺の歴史① Kyoto World Heritage Site Kinkakuji Temple
金閣寺といえば国内外問わず京都観光の定番です。三島由紀夫の小説「金閣寺」でも有名ですね。金閣寺といえば室町幕府三代将軍足利義満に結びつきますが、金閣寺の歴史のスタートは鎌倉時代にさかのぼり、藤原公経(ふじわらきんつね)が北山第を現在の金閣寺の場所に造営したことに始まります。藤原公経(ふじわらきんつね)はこの北山第を「西園寺」という寺にし、自らも西園寺を号するようになり、西園寺公経(さいおんじきんつね)を名乗るようになりました。
西園寺公経(さいおんじきんつね)は、源頼朝の姪である全子(ぜんし)を妻にし鎌倉幕府との強固な関係を築きました。同時に朝廷との関係性も深めることになり、北山第から御所近くに住まいを移しました。現在の京都御苑内にある「白雲神社」(しらくもじんじゃ)になります。西園寺家はこの「白雲神社」(しらくもじんじゃ)近くで私塾を開設します。この私塾が現在の立命館です。現在の立命館大学のメインキャンパスは衣笠にあり、金閣寺とは目と鼻の先、歴史の偶然を感じることが出来ます。

金閣寺の歴史② Kyoto World Heritage Site Kinkakuji Temple
隆盛を誇った西園寺家ですが、鎌倉幕府滅亡後後醍醐天皇暗殺の謀反を企てたとして処刑されてしまいます。北山第も荒廃の一途をたどることになってしまいました。ここで登場するのが室町幕府三代将軍足利義満です。西園寺家から北山第を譲り受け別荘兼会所として定め「北山殿」と名ずけました。

金閣寺の歴史③ Kyoto World Heritage Site Kinkakuji Temple
北山殿の造営にあたっては全国各地の諸大名が動員され、各地から景石が運び込まれ、銘木が惜しげもなく使用されました。足利義満は。この北山殿を政(まつりごと)の場としても活用しました。足利義満の隆盛とともに北山殿も隆盛を誇りました。ただし足利義満の死後は急速に衰退し、建物のほとんどは壊されるかもしくは他の寺院に移築されてしまいました。南禅寺や建仁寺にその面影を見ることが出来ます。残ったのは「護摩堂」と「舎利殿」のみという有様でした。

金閣寺の歴史④ Kyoto World Heritage Site Kinkakuji Temple
北山殿を禅寺にという足利義満の遺言に従い、夢窓疎石を開山として「鹿苑寺」が開かれました。足利義満の孫である室町幕府八代将軍足利義政は北山殿を何度も訪れたことが記録に残されています。足利義政は祖父義満の建てた「鹿苑寺」に倣い「慈照寺」(銀閣寺)を造営します。
その後、応仁の乱ではおおくの建造物を焼失してしまいます。江戸時代には舎利殿の大改修も行われました。明治維新後の廃仏毀釈により多くの領地を失ってしまいますが、1929年には国宝に指定されます。しかし1950年には放火により舎利殿や仏像をうしなってしまいます。政府や京都府や企業からの寄付により1955年に再建。1994年にはユネスコ世界遺産に指定されました。
鏡湖池に映る「逆さ金閣」の姿は仕切り折々にふれ、多様な姿を映し出します。じっくりと眺めながら歴史に浸ってみてはいかがでしょうか?
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