京都観光 おすすめ 京都の庭園 平安時代

2019.09.19 (木)

京都観光 おすすめ 京都の庭園 日本庭園の起源

日本の庭園は歴史的に石・水・植物等の自然の素材を利用して大地の上に自然の風景を作り出してきました。日本固有の宗教である神道は、山や川や動植物全てに神が宿るという自然崇拝の考えがありました。神を祀るための神聖な場所は「磐境」(いわさか)とよばれていて、その後「斎庭」(ゆにわ)「沙庭」(さにわ)とよばれるようになりました。上賀茂神社や下鴨神社にいくとこの系譜をうかがうことができます。京都は三方を山に囲まれ、多種多様な動植物や豊かな湧き水や河川など、自然環境にめぐまれていたことから自然風景式庭園が発展しました。

京都観光 おすすめ 京都の庭園 平安時代初期の庭園

平安時代の初期には桓武天皇の神泉苑や嵯峨天皇の嵯峨院(大覚寺)や朱雀院など天皇の離宮や御所が多く造営されました。また貴族の庭園として藤原冬嗣の閑院があります。いずれも唐の禁苑がモデルになったようで、庭園では詩文の会が盛んに行われていました。神泉苑には広大な苑内に楼閣や釣殿があって歴代の天皇が行幸して遊宴を行いました。嵯峨天皇はしばしば嵯峨野に狩猟にでかけ離宮を造営しました。大覚寺大沢池は中国の洞庭湖を模したという広大な林泉庭園です。名古曾滝は百人一首の藤原公任の「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけり」で有名です。

京都観光 おすすめ 京都の庭園 平安時代中期の庭園

平安時代中期には藤原氏を中心とする貴族の邸宅に庭園が営まれます。藤原良房邸、東三条殿、藤原基経が創建し、後に堀河天皇の里内裏ともなった堀河院、藤原頼道の高陽院などが代表的事例です。残念ながら現存する庭園はありません。この時期の庭園は「寝殿造庭園」と呼ばれています。貴族邸宅を舞台に花開く文化の様子は「源氏物語」などの文学や絵巻物からうかがうことができます。藤原頼道の息子橘俊綱が編纂した「作庭記」は当時の作庭理念や技法を記した秘伝書です。

京都観光 おすすめ 京都の庭園 平安時代末期の庭園

平安時代末期には「浄土思想」が広まり、仏殿を荘厳する庭園が盛んに造営されました。これが「浄土庭園」であり、藤原道長によって法成寺の庭園が営まれて本格化しました。藤原頼道が造営した平等院庭園には「鳳凰堂」が現存しています。浄瑠璃寺には九体阿弥陀堂が現存しています。浄瑠璃寺庭園も往時の姿が再現されています。白河上皇が院の御所として造営した鳥羽殿(鳥羽離宮)も往時の姿が再現されています。浄土庭園の様式は奥州藤原氏の毛越寺はじめ諸国の寺院庭園に波及しました。現在龍安寺庭園として指定されている鏡容池は平安時代末期の庭園の趣を今に伝えています。

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