京都観光 おすすめ 寺院 臨済宗 右京区
京都観光におすすめの寺院 臨済宗③
●常照皇寺(右京区京北井戸町丸山) 本尊=釈迦如来 南北朝時代の北朝初代光厳上皇が創建した禅寺。1331年光厳天皇は隠岐に配流された後醍醐天皇の後に即位しましたが、1333年鎌倉幕府が滅ぶと後醍醐天皇が復位し、光厳天皇は廃され上皇となりました。しかしながら建武の新政は失敗し足利尊氏によって光厳上皇の弟の光明天皇が即位しました。後醍醐天皇は吉野に南朝を建てたため南北朝が対立。光厳上皇は大和賀名生に幽閉されることもありました。夢窓疎石に帰依していた光厳上皇は賀名生で出家して、京都へ帰還後常照皇寺に隠遁しました。

●天龍寺 (右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)本尊=釈迦如来 臨済宗天龍寺派の大本山 山号=霊亀山 世界遺産 足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るための後嵯峨上皇の亀山殿の地に開創しました。1339年に夢窓疎石を開山に迎えました。造営費用の寄進を元との貿易収入で賄うために天龍寺船が就航されました。天龍は足利尊氏の弟のの直義が見た金龍の夢に由来します。庭園は夢窓疎石の作です。遠景の嵐山と近景の小倉山を借景として亀山東麓に配された曹源池を中心に方丈側東岸に大小の出島を設けています。
●宝筐院 (右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町)本尊=十一面観音千手観音 白河天皇勅願時であった善入寺が前身。夢窓疎石の高弟黙庵周瑜によって中興されました。生前敵同士であった足利義詮と楠木正行の墓が並んでいることで知られています。楠木正成は湊川の戦いで足利尊氏に打ち取られ、楠木正行も四条畷の戦いで足利方の高師直と戦い敗死しました。楠木正行は生前黙庵周瑜と交友関係だった理由から首級を葬られることになります。のちに黙庵周瑜 に帰依した足利義詮は黙庵周瑜から正行の人柄を聞いて敵ながら敬募するところとなりました。

●妙心寺 (右京区花園妙心寺町)本尊=釈迦如来 臨済宗妙心寺派の大本山 山号=正法山 花園法皇の発願で花園離宮を禅寺として開創しました。開山は関山慧玄です。応仁の乱で一時荒廃したものの、住持の雪江宗深が細川勝元らの援助によって再建しました。その後雪江の弟子が龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派の四派となって禅風を挙揚しました。従来妙心寺への入寺は大徳寺への入寺を必要としましたが、後に大徳寺の末寺的存在から独立し、白隠慧鶴ら多数の僧傑を輩出し臨済宗の本流となりました。46の塔頭が本坊を取り囲み、大徳寺と同様に禅寺の良好な寺観を保っています。法堂の鏡天井には狩野探幽による「雲龍図」が描かれています。浴室は明智光秀の叔父密宗和尚が明智光秀を追善するために建立しました。寺宝は宗峰妙超墨跡二幅、関山彗玄墨跡、三幅対「達磨・豊千・布袋図」、海北友松の「三酸・寒山拾得図屛風」「琴棋書画図屛風」、狩野山楽の「文王侶尚・商山四浩図屛風」、黄鐘調の鐘として知られる「戊戌年」の銘のある梵鐘など多数所蔵しています。
●玉鳳院 創立が古く、開山の塔所微笑庵があって格別の扱いがされています。京都における禅宗様三間堂の好例です。玉鳳院型手水鉢は逸品です。
●退蔵院 本尊=観世音菩薩 1404年波多野出雲守重通が建立。開山は無因宗因。妙心寺第三十四世の亀年禅諭が現在地に移し再興。「都林泉名勝図会」には狩野元信の作庭と記された元信の庭があります。「瓢鮎図」は如拙作、余香苑は中根金作設計。
●東海庵 本尊=観音菩薩 1484年悟渓宗頓を開祖に創建。悟渓没後利貞尼が整備。書院西庭は東陸宗補の作です。
●東林院 本尊=観音菩薩 1531年細川氏綱が父高国の菩提寺として創建。1556年妙心寺内に移転。沙羅双樹の寺として有名です。
●霊雲院 本尊=観音菩薩 1526年大休宗休が師の特芳禅傑を勧請開祖として創建。後奈良天皇は大休に参禅しており御幸の間と呼ぶ書院が残っています。相国寺の子建作と伝わる枯山水庭園は有名です。

●龍安寺 (右京区龍安寺御陵ノ下町)本尊=釈迦牟尼仏 臨済宗妙心寺派 山号=大雲山 世界遺産 細川勝元が妙心寺の義天玄承を招いて1450年に創建しました。日峰宗舜を勸請開山としました。有名な枯山水の庭園は、虎の子渡し、五智五仏、七五三の石組、心字の象形などと呼ばれ、白砂だけを敷き詰めて15個の石を配置しています。方丈の北東にある茶室蔵六庵の前には徳川光圀が寄進したといわれる「我唯足知」の手水鉢が有名です。
●鹿王院 (右京区嵯峨北堀町) 本尊=釈迦如来、十大弟子
1380年足利義満が延命を祈願して創建した宝童寺の開山塔所です。開山は春屋妙葩。虎宸玄竹が中興。10月15日に源実朝が宋から得た仏牙舎利を開帳します。
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