京都観光 おすすめポイント 京都の彫刻

2019.10.01 (火)

京都観光 おすすめポイント 京都の彫刻 広隆寺弥勒菩薩像

京都の彫刻は絵画と同様に仏教文化と密接な関係があります。奈良時代以前の仏像としては、渡来系の秦氏が創建した蜂岡寺(広隆寺)に未来仏として信仰されていた半跏思惟の姿をした弥勒菩薩像二体が残されています。どちらも一木造りで赤松材が用いられた像は「宝冠の弥勒」と呼ばれ、聖徳太子から秦氏が賜ったと伝えられています。一方で楠材を使用した像を「宝けいの弥勒」または「泣き弥勒」と称されています。

京都観光 おすすめポイント 京都の彫刻 密教彫像

平安時代初期には神護寺に薬師如来立像が造立されました。螺髪(らはつ)が大きく目鼻立ちが強く表現されたこの像は堂々としていて、山に籠って仏教信仰を続けた民間の仏教信者の手によって造立されたと考えられています。本格的な密教彫像を創出したのは空海です。空海は東寺講堂の須弥壇(しゅみだん)に大日如来を中心に金剛界の五仏(五善如来)、さらに不動明王を主尊とする五大明王像、五大菩薩像、梵天像、帝釈天像、四天王像を配置して、平面の曼荼羅図を立体的に表現しました。羅城門に安置されていたとの言い伝えがある兜跋(とばつ)毘沙門天像は西域風の顔を持った像です。唐の玄宗皇帝の頃に安西城を守護する神将として出現したと言われていて、平将門の乱の時に羅城門で平安京を守りました。

京都観光 おすすめポイント 京都の彫刻 阿弥陀信仰 清凉寺式釈迦像

皇室や貴族によって寺院が創建される様になると、皇室に縁の深い仁和寺や、貴族の別業であった清凉寺に仏像が作られ阿弥陀如来が造立されました。ふたつの寺に残る坐像の阿弥陀如来には密教の仏像に似た造形が見られます。仁和寺金堂の本尊として造立された一木造りの阿弥陀三尊像は広隆寺の阿弥陀如来坐像に似ています。しかし広隆寺の像は寄席木造の手法がとられていて、仏師の和様化への工夫が見られます。清凉寺には阿弥陀三尊像の他に、寵然(ちょうねん)が中国から請来した「三国伝来」と伝えられる釈迦如来立像が残されています。その胎内からは経文や絹製の五臓六腑が発見され、中国の医学知識を伝えています。この像を模刻した釈迦像が全国各地に清凉寺式釈迦像として残されています。

京都観光 おすすめポイント 京都の彫刻 定朝の登場 和様彫刻の展開

末法思想の浄土信仰が流行する平安時代中期に造立された平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像に和様彫刻の完成形を見ることが出来ます。仏師定朝は子の像で寄木造の技法を駆使し、穏やかな定朝様とよばれる様式を結実させました。阿弥陀信仰により九体の阿弥陀如来坐像を造立安置したのが浄瑠璃寺の本堂(久体阿弥陀堂)です。法金剛院の阿弥陀如来坐像は、定朝様を学んだ院覚によって優美な装飾が施されています。また三千院の往生極楽院の阿弥陀三尊像は来迎の姿を示していています。ともに平安時代末期を代表する彫刻です。

京都観光 おすすめポイント 京都の彫刻 仏所の誕生 慶派の活躍

定朝以降に京仏師の工房が誕生します。覚助の七条仏所、長勢の三条仏所、院助の七条大宮仏所が有名です。また京仏師から分かれて奈良に、運慶・快慶が輩出されました。隋心院の金剛薩垂(さった)像は快慶の秀作と言われています。蓮華王院(三十三間堂)の千手観音坐像は、運慶の後継者である湛慶、康円らの手によるもので、二十八部衆像、風神雷神像も慶派によるものです。一心に阿弥陀の名号を唱える空也の口から阿弥陀仏が飛び出している六波羅蜜寺の空也上人立像は運慶の四男である康勝の作品です。六波羅蜜寺には、伝運慶・湛慶親子坐像や平清盛坐像があります。

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