インバウンド 京都観光 おすすめ 寺院 天台宗 西京区・京都市外

●金剛寺 (西京区大原野石作町)本尊=十一面千手観音 718年に元正天皇の勅願で創建されたと伝えられています。現在の建物は桂昌院によって再建されたものです。かつて愛宕神社に祀られていた勝軍地蔵が祀られています。山号は西岩倉山で、桓武天皇が築いた東西南北の経塚のうちの西の経塚であったことに由来します。
●十輪時 (西京区大原野小塩町)本尊=地蔵菩薩 山号=小塩山 850年に文徳天皇の后である藤原明子の懐妊、安産を願って創建されました。本尊は腹帯地蔵尊として信仰を集めています。在原業平の閑居跡とされ「なりひら寺」とも呼ばれています。在原業平のかつての恋人である藤原高子の大原野詣の際に、塩を焼いてその思いを託したという塩竈の跡があります。禅衣(おいずる)観音は、花山法皇が西国三十三所観音霊場を巡拝するときに背負っていた自作の観音との言い伝えがあります。
●勝持寺 (西京区大原野南春日町)本尊=薬師如来 山号=小塩山 役行者が創建し、桓武天皇の勅を奉して再建したとの言い伝えがあります。西行ゆかりの「西行桜」は有名で「はなの寺」とも呼ばれています。本尊の体内に納められていた薬師如来坐像や細川幽斎筆の懐紙等の重要文化財があります。

●善峯寺 (西京区大原野小塩町)本尊=十一面千手観音 山号=西山 恵心僧都源信の弟子である源算による創建。源算がのちの後三条天皇の皇后の安産を祈願したところ男子(白河天皇)が生まれ、その功績により伽藍を造営。鎌倉時代には慈円僧正や証空上人が住持をつとめ、青蓮院の各法親王が代々住職を務めました。一時衰退するも桂昌院の寄進により再建。境内の遊龍松は樹齢600年。薬湯風呂は神経痛・腰痛平癒の効能で有名です。
●穴太寺(あなおおじ)(亀岡市曽我部町穴太東の辻)本尊=薬師如来、聖観世音菩薩 山号=菩提寺 705年に大伴古麻呂によって創建。昔この地にいた郡司宇治宮成は都から仏師を招き聖観音像を刻ませ、その謝礼として馬を与えました。馬が惜しくなった宇治宮成は仏師を射殺したのですが、聖観音に矢が突き立っていて馬も見つからず、仏師も都でいきていることを知り、観音が身代わりになったことを悟り、仏門に帰依しました。この身代わり観音の説話は「今昔物語」や「扶桑略記」に記されています。

●延暦寺 (滋賀県大津市坂本本町)本尊=薬師如来 山号=比叡山 天台宗の総本山。天台教学は八宗兼学といわれ、禅宗や日蓮宗や浄土宗はすべて延暦寺に端を発すると言われています。785年に最澄が比叡山で修行して一乗止観院(根本中堂)を建立し、最澄自らが彫った薬師如来像を祀ったことに由来します。入唐求法から帰国し天台法華宗の確立に奔走し天台宗が公認されました。南都寺院の抵抗にあいながら大乗戒檀の設立に奔走し、最澄没後一年後の823年に朝廷から認められ「延暦寺」の勅願が下賜されました。 延暦寺からは数々の高僧が輩出し、三代天台座主の円仁(慈覚大師)や五代天台座主の円珍(智証大師)により密教化も進みました。十八代天台座主の良源(慈恵大師、元三大師)な寺基を拡大し、東塔・西塔・横川の三塔十六谷に三千もの寺坊を持つほどになりました。良源没後は円仁派と円珍派の対立が起こり、円珍派は比叡山を降り園城寺を拠点とする様になり「寺門」と呼ばれる様になりました。政治力も強くなり、武家との対立も鮮明になり1571年には織田信長による焼き打ちもありました。 根本中堂では最澄が灯した「不滅の法灯」が今も輝いています。西塔にある常行堂と法華堂はともに重要文化財に指定されていて、堂をつなぐ渡り廊下に弁慶が肩を入れて担いだ伝説から「にない堂」と呼ばれています。
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